「悪性のリュウマチ4年で来院〜治療3年半―中間報告」 齋藤直子 30

   

愛知県の齋藤直子です。

いつもありがとうございます。

中間報告の手記を添付送信します。

手記の中にも書きましたが、この一ヶ月間順調に仕事に通えています。今の状況は、数年前に立ち返ってみると、まさに夢のような生活、奇跡的としかいいようのないものです。心より感謝しております。ありがとうございます。

次の目標は、リュウマチに罹るまで大好きだったスキーに行けるようになること。そしてもちろん「完治」です。

今後ともよろしくお願いします。

齋藤直子

 

 

「悪性のリュウマチ歴4年で来院〜治療3年半―中間報告」

 

現在30歳。リュウマチにかかったのは約7年前、23歳の時でした。

 

発病

 

1996年の春、左膝がなんとなく痛い日々が続き、そのうちに左手の人差し指と中指が、スムーズに動かないことが度々ありました。不安を感じ、近くの整形外科に行きました。はっきりした診断はされず、様子見で、軽い痛み止めが処方され、2・3ヶ月服用しました。しかし症状が改善されないため、リュウマチと確定診断されました。そこから「薬漬け」の始まりです。

鎮痛剤、軽い抗リュウマチ薬、シオゾール注射、ステロイドの短期使用、他の抗リュウマチ薬(アザルフィジン、リマチル)、抗マラリア薬、ステロイド2.5mg/日の常用、5mgの常用、メトトリキセート(リウマテック)。その間、水のたまった膝にステロイド注射を23回。インフルエンザで入院した時に点滴(ステロイド入り)を34日。発病後約3年間は、特に大きな疑問も抱かず、これも運命だから仕方ないという気持ちで、このような治療を受けてきました。

これらの薬を服用していれば、軽い痛みや、倦怠感は多少あるものの、日常生活はどうにか送れていました。ところが、次第に、5mg/日のステロイド(プレドニン)が一日(24時間)は効かなくなり、服用の間隔を20時間、15時間と短くしないと、だるくてまったく動けないという日々がやってきました。でも服用すると30分後から動けるようになる、恐ろしい程の即効性。これにはすごく恐怖を感じました。その頃にはメトトリキセート(リュウマテック)の処方の量も徐々に増やされ、12.5ミリグラム/日になりました。これはもう完全に薬の中毒だ、続けるべきではないと実感しました。そして、5年後を想像したときに、いったい毎日どれだけの薬を服用しないと日常生活ができないのか、そして10年後、どんな薬を使っても痛みや関節破壊を止められなくなるのだろうか、そして20年後の40代後半ではステロイドの影響で骨ももろくなり、関節も破壊されて、それ以後は何度も手術を繰り返し、何も思うままにならずに家族を煩わせながら人生を送っていかなくてはなかないのか…と。こういったネガティブな想像がどんどん膨らんでいきました。

とは言っても、薬を自己判断で一気に止められる状態ではなかったです。錠剤を細かく刻んだりして、少しでも減らそうと試みたこともありますが、やはりすでに薬への依存度は相当であり、まったく無理なことでした。この時点で約4年間、西洋医学の「リュウマチ治療の王道」を受けつづけてきていたのです。

 

西洋医学からの脱却

 

こんな時、知人が大阪の小さな医院を紹介してくれました。その知人は、重度の糖尿病をその医院で克服したのですが、そこでは糖尿病だけではなく、リュウマチが治った人がたくさんいると聞き、通い始めました。厳しい食事療法をし、ステロイドは徐々に減らし、痛み止めに変えました。メトトリキセート(リュウマテック)は、もう少し時間をおいてから減らす方向でした。この頃に知ったのですが、メトトリキセートは、日本では数年前にリウマテックという名で、あたかもリュウマチ治療の新薬かのように現れましたが、これは、以前抗がん剤として使用されていたメトトリキセートとまったく同じ薬であると、その医院の医師が教えてくれました。私もその時点まで、弱い免疫抑制作用のある抗リュウマチ薬だと思い込んでいたので、抗がん剤という言葉には驚き、ステロイドよりも早く止めたいという気持ちが強くなりました。

そうこうしている間にも、関節は徐々に伸ばせなくなりました。そして3ヶ月通ったころ、医師が高齢で痴呆気味な不可解な発言を繰り返すようになり、治療を続けてよいものかと考え始めました。後任の医師は、実は、「ステロイドを無理に止める必要はない」との意見をもっていることがはっきりしたため、その医院での治療を止めることに迷いはなくなりました。

ちょうどその頃、インターネットでリュウマチ治療について検索していると、松本医院を発見したのです。何やら難しそうな文章が多く書き綴られ、手記もたくさん載っていました。理論はきちんとある、治ると言っている、まずなにより恐ろしい薬を止められる。とにかく一度先生に会ってみるべきだろうと思い、早速行ってみました。

最初の印象は、皆さんと同様で…声の大きな自信たっぷりな先生でした。「100%治してあげる。リュウマチを治すのに、悪性も何にもない、絶対治る。治らなかったら治療費全部返してあげる。」と言い放ち、握手をしました。狐にでもつままれたような不思議な気分でした。

 

治療開始

 

(第1サイクル〜痛み2ヶ月+痒み6ヶ月)

 

20003月末から、治療開始です。メトトリキセート(リュウマテック)も痛み止めも全てを一気に中止しました。どんな痛みが襲ってくるかと想像するとものすごい恐怖でした。指示どおり、煎じ薬を飲み、入浴剤の風呂に入り、お灸をし、週一回は鍼に通いました。動けない程の激痛ではないものの、慢性的に痛く、行動一つ一つに痛みを感じましたし、とにかく体がだるく、動作は最小限に済ませたい気分でした。

そして治療開始から2ヵ月後の5月終わりごろから、アトピーの兆候が表われてきました。松本医院では「良かったね。良かったね。」と、看護婦さんにや鍼の先生に言って頂きましたが、半信半疑の私は、苦笑いするしかありませんでした。その時まで、アレルギーは一切なかったので驚きましたが、先生の説明どおりの経過でした。それまでのリュウマチ向けからアトピー向けのせんじ薬へと変更されました。

それからは、日毎に痒くなり、錯乱しそうな痒みとの闘いとなりました。不眠、イライラ、痒みがこんなに辛いものだとは、この時まで一切知りませんでした。一方で、それまでの痛みは、不思議と軽減されていくのも実感できました。首のあたりが真っ赤になり、外出は人目が気になり、控えるようになっていきました。そして、暑い夏をどうにか遣り過ごし、秋になると、痒みが少しずつおさまってきました。

 

(第2サイクル〜痛み2ヶ月+痒み7ヶ月)

 

リュウマチ向けの煎じ薬に戻しました。痒みが引いていくに連れ、今度は体がだるい、関節が痛い、といったリュウマチ台頭期の始まりです。幸い、他の方の手記にあるような、全く起き上がれない程の激痛はなく、「運動痛」=動作に伴う痛み、がほとんどでした。しかし時々ズキズキと自発痛があり、涙が止まらなくなることもありました。痒みもまだ残っていました。とはいえ、泣きながらでも自分でお灸をしていましたし、身の回りのことはなんとか出来る程度ではありました。このような状態が2,3ヶ月続いたころ、また痒みを徐々に感じるようになりました。アトピー台頭期の始まりです。

今回は、前回の比ではありません。猛烈に痒く、範囲が日に日に拡がっていきました。それまでは、大阪で一人暮らしをしていたのですが、あまりの辛さにひとりでは耐えられない、このままでは、命を絶ってしまうのでは、と自分が怖くなったため、愛知県にある実家にもどり、家族と一緒に暮らし始めました。診察に通うのは無理なので、2週間分の煎じ薬・入浴剤を電話で頼み、送ってもらうようになりました。困った時には先生に電話して、相談できる状態になっていました。

それからは、多少痛みは減っても、掻かなくてはいられないので、余計に関節に負担がかったように思います。痒くて、手の関節の痛みをおして掻き、痒みが少し落ち着くと、今度は関節に強い痛みを感じて、涙が溢れてきます。そうすると体が熱くなり、また痒くなるという繰り返しが、24時間休み無しで続きます。毎日が辛く、地獄でした。今でもこの時期のことを思うと涙が出てきます。先生に相談をし、睡眠剤を処方してもらいました。それを服用して眠ろうとするのですが、うとうとするのが精一杯でした。

首の周りが特にひどく、真っ赤になり、リンパ液がたまり皮膚がぷくぷくとして、掻いた後の皮膚の再生が追いつかず、いつも突っ張った感じがしていました。首を回すのはもちろん、前後にも動かすことさえ辛く、鞭打ち患者のようでした。そのうち耳の中も痒くなり、リンパ液が耳の中からも出てくるようになりました。横を向いてうとうとしていると、耳の奥のほうに水分(リンパ液)が、ゴオッーと大きな音で入っていく感覚で驚き、目が覚めることが何度もありましたが、何とも気持ち悪く、居たたまれない感覚でした。実際に、耳の奥に水が溜まって取れないようなつまった感じが、1ヶ月持続したこともありました。

この時期は、家の外には全く出られませんでした。とにかく体を動かすのが恐ろしく、億劫で、ずっと膝を抱え、やや下を向いた同じ姿勢でいました。猫背になり、背骨が曲がってくる気さえしていました。リュウマチで関節が痛いのももちろん、皮膚に風が当たることさえ痛いと感じ、辛かったです。先生に電話をし、症状を話し、「大丈夫絶対治る。」と断言してもらうことで、少し気分が落ち着きました。

母はお灸を手伝ってくれたり、痛い時には手足をさすってくれたり、一緒に泣いてくれたり、随分私の支えになってくれました。振り返るってみると、アトピーの症状としては、この頃が1番ひどく、毎日「死にたい、死にたい。」と思って、泣いてばかりいました。そんな辛く、家に閉じこもりの状態が7ヶ月続いた後、ようやく痒みがおさまり始め、泣き叫ぶ回数が減っていきました。

 

(第3サイクル〜痛み4ヶ月+痒み7ヶ月)

 

皮膚はぷくぷくした感じがひいて、キズが出来にくくなり、色もうすい赤になり、次第にグレイっぽくなっていき、徐々に良くなっていきました。近所の鍼灸院へ、家族に乗せてもらってですが行くことができる程に、落ち着いてきました。しかし今度は、痛みが徐々に強くなって、だるさも益々ひどくなり、服を着替えるのも一苦労でした。それでも、どうにかひとりで、鍼灸院まで車で15分の道のりを、通えるようになっていきました。ハンドルを切る度に痛みを感じ、サイドブレーキは渾身の力を込め、ようやく動かせる状態でした。

数ヶ月前より明らかに良くなり、自信もでてきたため、一度血液検査もしたいし、診察に行こうと、8月に、松本医院へと出かけました。しかし名古屋駅で乗り換えのため、ホームを歩いている途中に、突然膝に激痛がはしり、まともに歩けなくなってしまいました。膝を曲げていれば楽なので、腰を曲げて足を滑らしながら移動し、長い階段を、涙をこらえて上りました。どうにかたどり着くと、松本先生には、「そんなひどいのに、何でわざわざ来たのか。」という様なことまで言われる始末でした。

[血沈65CRP2.3RF30ZTT13.7]診察を終え、家にたどり着いた時は、膝はパンパンに腫れて熱を持ち、その後4日間は、トイレにいくのが精一杯、ほとんど動けない状態でした。その後も、膝に負荷のかからない角度を考えながら、ゆっくりゆっくり慎重にしか動けなくなり、少しの移動でも、常に最短距離を考えて生活していました。

膝、手首、指、肩、足首とあらゆる関節が痛く、中でも左膝が一番ひどく、引きずっていました。幸いなことに、右足は痛みが少なかったため、寝たきりにはならずに済んだのだと思います。ふと気づくと、左肩もほとんど上にあげることが出来なくなっていました。

眠る時も体勢が限られ、時おり寝返りをうとうとすると、痛みで目が覚め、布団がずれて直そうとしても、痛くて手に力が入りませんでした。動作は最低限しかできず、食事も上げ膳据え膳で、読書しようにも、短時間で本を持っているのが辛くなってしまい、ただ一日中横たわり、時が過ぎるのを耐えて待つことしか出来ませんでした。

「良くなった時の想像をしなさい。」と、先生にもよく言われましたが、この時はそれも出来ず、「いつでも命を絶って楽になるという選択肢は残っている。」だとか、「自分はもう死んでいるのだ。」と考えるほうが、気楽なこともありました。

そんなリュウマチの台頭期が4ヶ月ほど続いたころ、地獄の痒みが、再度ぶり返してきました。12月頃から、またアトピー向けに煎じ薬を変え、痒みとの闘いのはじまりです。今度はどうなることやらと不安になりました。やや痛みはおさまってきたものの、今回は顔が痒く、真っ赤になり、家族にも見られたくなかったので、タオルで顔を隠していました。鏡で顔を見ることは、恐ろしくて出来ませんでした。

体中の皮膚のやわらかい部分が、ほとんどが真っ赤になり、痒くてたまりませんでした。さらに爪も、がたがたになってきて、先生に尋ねたところ、「爪も皮膚の一種だから、治る時には一緒に治る。」ということでした。

生活も昼夜逆転し、関節が痛くて泣き、痒くて泣き、眠れなくて泣き、不安で泣き、どうしようもないほどの体の重だるさで泣き……この頃は、泣かないで過ごせた日は、一日もなかったです。

アトピーがおさまるとリュウマチで痛くなり、煎じ薬を変えるとまたアトピーで痒くなりの繰り返しで…すでに3サイクル目のアトピーでしたから、精神的にも不安が募り、繰り返しはいつまで続くのだろうかと、我慢ももう限界かと思いはじめていました。

約半年が過ぎた6月頃に、ようやくアトピーが少しずつ良くなり始め、真っ赤だった皮膚から赤みがひき、次第にグレイに変化していき、完全な閉じこもり生活も7ヶ月目にして、やっと終わりを迎えました。治療開始から23ヶ月がたっていました。

 

サイクルからの脱出〜12ヶ月経過

 

それまでだと、次はリュウマチの台頭期で痛みが出てきて、煎じ薬をリュウマチ向けに変えるところですが、今度は不思議とひどい痛みが出てこず、煎じ薬を変えたらまたアトピーになるのではという恐怖から、「まだひどい痛みはないので、薬は変えなくていいです。」と、先生に言い続けました。実際、「煎じ薬を変えたからアトピーになるというのは、間違っている」という事は、理解しているのですが、「地獄の痒みは、しばらく休みにしたい。」というのが本音でした。「少し英気を養い、また痛みがどうしても耐えられない程度まできたら、変更すればいい。」というぐらいの気持ちでいました。

そして6月に、数ヶ月ぶりに松本医院に行きました。母に付き添ってもらいましたが、今回は膝が痛くなることもなく、買い物までする余裕もでてきました。

[血沈43CRP0.9RF76ZTT16.7]その後も、アトピーは順調によくなり、日焼け後の肌と思えるような薄い茶色になり、強いコンプレックスを持たずに、外出できるようになっていきました。だるさは残っていたため、外ではすぐイスを見つけては、座りたくなったり、家に戻ってすぐ横になったりという生活でしたが、痛みが悪化することはありませんでした。

少し行動出来るようになったことで、交感神経、副交感神経の活動がまともになったのか、やっと睡眠剤も要らなくなりました。それからも、少しずつですが着実に、だるさも肌の状態も、改善されていきました。

8月に、松本医院に再度診察にいきました。

[血沈22CRP0.4RF64ZTT17.4]今回は、ひとりで問題なく行くことが出来ました。そしてアトピーも、さらに治まっていきました。

11月にも、診察にいきました。

[血沈18CRP0.5RF73ZTT16.1]。この頃からは、自宅で仕事を始められるぐらいになりました。

20033月にも再度検査をしましたが、数値はあまり改善されていません。

しかし、アトピーはさらに楽になり、痛みもごくたまに感じるくらいになっていました。

そして、4月になり暖かくなると、体が軽くなっていき、格段に行動時間も範囲も広がりました。そして、ステロイド注射を数回繰り返しため、痛みも腫れも一番ひどかった左膝ですが、和式トイレも使える程度にまでなり、すこしヒールのある靴でも履けるようになりました。家事をして疲れたからと、横になることも少なくなくなっていきました。4月にはアトピーの痒みもゼロになったため、リュウマチ向けに煎じ薬を変更しました。

そして、6月の診察[血沈50CRP1.6RF69ZTT13.9]、痛みも極々わずかで、アトピーの痒みが出てくる様子もありません。

行きたいところには行くことが出来、会いたい人にも会うことが出来るようになりました。早足で歩くことも出来る、病人に見られることも全くなくなりました。家事も出来、自宅で仕事も出来、日常生活で不便なのは、正座が出来ないことぐらいです。

左膝の関節はさらに腫れがなくなっていき、かなりまっすぐ伸びるようになってきています。その他、指の関節右3本、左2本が腫れて痛く、まっすぐに伸ばせない状態が、3年以上続いていましたが、それも徐々に伸びるようになってきて、右の3本は、すでにかなりまっすぐに近い状態です。あと数年もすれば完全に伸びて、全く元の状態に戻ると確信ができる程です。

そして8月から、ついに、完全に社会復帰です。フルタイムで、仕事に行き始めました。毎朝起きて出勤し、働き、夜帰って来て眠る。大勢の人にとっては当たり前のことですが、数年前の、一日中家こもってベッドで泣いてばかりいた日々を思うと、感慨もひとしおでした。

そして、現在20039月、松本医院の治療を始めて3年半。毎朝7時半に出勤し、夜7時半に、家に帰ってきます。片道1時間10分の道のりを、車通勤います。この1ヶ月、1日も休むことなく通えています。我ながらビックリ、嬉しい驚きです。

気にかかるのは、長時間同じ姿勢でいた後の、左膝のごくわずかなこわばり、疲れた時に右肩が重くなる、首のわずかな痒み。どれも一日のうち、数回思い出す程度のものではありますが。

数値が改善していないので、完治したとも言えず、今も診察に行けない時には、松本医院から煎じ薬と入浴剤を、定期的に送ってもらっています。何の抑え込みの薬も使っていないから、体への悪影響は一切ないはずです。ただ私の場合は、松本医院に行く前に、免疫抑制剤やステロイドをたくさん使用していたことと、もしかしたら、元々膠原病の気があったから、抗体などが下がりにくいのかもしれません。いずれにせよ、これだけの辛い治療を継続してきたのは、完治という希望があればこそですし、松本先生は、たくさんの患者さんの診察を続けながらも、さらなる研究を非常に熱心に続けて下さっております。

状態が酷かった時は、主に精神的な励ましを、そして状態が安定してきたここ一年は、その研究についても話して下さいます。そのなかで、日頃の研究に対する取り組み方が垣間見られた話が、ひとつあります。ある日、電話で先生が、「Tリンパ球の抑制が働くと、免疫寛容がおこるということは、前から分かっていた。ただ研究段階では、抑制Tリンパ球が働いたかどうかを見る検査法があるのは、知られている。(言葉の使い方が、間違っているかもしれません…)」といったようなお話を、して下さいました。「私の血液で、その値の検査は出来ないのですか?」と尋ねたところ、一旦電話を切って、すぐに調べてくださり、「臨床でも、検査が可能だ。」との返事を、折り返しお電話下さいました。日々お忙しい中での、この素早い対応です。驚きました。臨床での患者の何気ない一言さえも糸口に、少しでも追求を進めていく、臨床と研究を並行することの意義なのかもしれません。「先生はやはり只者ではない!!先生の元で治療してきたことは間違いでなかった!!」と再認識し、ますます世界が(希望が)広がってきた気分で、やや興奮気味の一日でした。次回の診察時には、その値も検査してもらう予定です。

今こうして改めて振り返り、約3年半前までの薬漬けの状態を考えると、まさに奇跡的な回復です。あのままステロイドや免疫抑制剤を服用し続けていたら、どうなっていたのかの想像すると、恐ろしくなります。

もし、現在リュウマチで苦しみ、そういった治療を受けている方がいらっしゃったら、まずは今一度、服用している薬について良く調べ、考えてみることをお薦めしたいです。私もリュウマチに罹り立てのころは、西洋医学を信じこみ、代替医療の可能性をゼロにしていました。もう少し早い時期に認識を変え、情報収集をしていたならと思うと、悔やまれます。

現在言えることはここまでですが、近い将来、完治したという報告の出来る日が来ることを願い、信じています。松本先生には、心から深く感謝しております。ゴールの日まで、引き続きよろしくお願いします。

2003年9月25日

(齋藤直子)